小野田創楽という非凡な男の子

 

 

なるべくネタバレしないように書いたつもりですが、映画鑑賞済みの人間が書いております。予めご了承くださいませ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小野田創楽、とんでもない奴だな!!!!

 

小野田創楽は、さえない青春を送っている存在感のない普通の男子高校生。そんな彼が、クラスメイトの女の子に恋をしたことで、理不尽なブラック校則に立ち向かっていく。

平凡な男の子が恋をきっかけに様々なしがらみや壁を乗り越えて成長する物語。これが、映画「ブラック校則」の宣伝から受けた印象で、そういうものを観るつもりでわたしは今日、映画館に行った。結果として、その期待は、大きく裏切られた。半端じゃなく良い方に。

小野田創楽、とんでもない奴だな!!

というのが、この映画を観終わったとき真っ先に浮かんできた感想だった。こいつ、全然どこにでもいる普通の男の子なんかじゃない。平凡な男子高校生?そんなことない。そんなことないだろうと、わたしは思った。

 

 

彼の隣にはいつも、「親友」の中弥がいる。中弥は突飛な言動で周囲を驚かせるが、どこか憎めない不思議な魅力をもった存在。そんな中弥によって、横にいる創楽はより存在感のない、地味な男の子に見える。けれど、この中弥との関係こそが、創楽の非凡な一面を如実に表していると思う。

中弥は、創楽が躊躇うような場面であっさりその壁を飛び越えて行動してみせる。創楽が悩んでいることをさらっと吹き飛ばして、笑ってみせる。そんな友人が隣にいるときに、人はどう思うか。わたしならきっと、嫉妬してしまうと思う。地味で存在感のない自分と、他人の視線にとらわれない「自由」な友人を比べて、どうしようもない劣等感に苛まれただろうし、それはたぶん嫉妬という形で表に出てくると思う。実際、そういう感情には大いに覚えがある。

だから、映画を観ている最中何度も思った。

「あー、創楽、中弥への嫉妬心爆発しないかな…」

 

けれど、創楽はそんな素振り一度も見せなかった。描かれていない所でそういう感情を処理してるのかな、いや、たぶん、そういう感情そのものが、彼にはないのではないだろうか。少なくともわたしには、そう見えた。

創楽が感情を爆発させるのは、いつも「自分」に対してだけだ。好きな女の子を助けられない自分へ。教師にびびって行動できなかった自分へ。人の目を気にして行動することを怖がる自分へ。

いつだって、その激情は自分の内にある。それが、どれだけ非凡なことか。

そして、そういう創楽だからこそ、中弥の「親友」なのであり、この物語の主人公であったのだろうと思う。

 

この「ブラック校則」という映画は、単なる平凡な男の子の成長譚なんかじゃない。小野田創楽という非凡な男の子が、本当の「自由」とは何か考え、悩み、そして戦う勇気と愛の物語だ。

ブラック校則は良いぞ。(大声)

 

ここまで書いてみて気付いたんですけど、そもそもどこにも創楽が「平凡」だとは書いてないんですよね。元々あの子めっちゃ変な子だったんだろうな、と今更ながらに思っています。